間伐

現場レポート 間伐材利用を促進するために
 〜森林経営から住宅施工までを一体化した気仙地方森林組合の挑戦
1/3 

気仙木材加工協同組合連合会の誕生

昭和35年(1960年)に丸太材の輸入自由化、昭和37年(1962年)の木材製品輸入自由化を契機として、外国から木材がどっと入り込んできた。以来、国内の木材の価格は下がり続け、ピーク時には1m3あたりの価格が、2万円を超えていた時期もあったそうだが、それも今ではその1/3以下。これが、30年〜40年育てた木の価格である。

ましてや間伐材などは、どこからも見向きもされず、捨てられるか捨て値で買われるか。これでは、間伐をはじめとした森林の手入れに尽力もお金もつぎ込めない。手入れされない森林は荒廃し、材としての価値のないひょろひょろの杉が山を覆い尽くす。どこまで行っても救われない悪循環だ。

もちろん、国産材も流通している。しかも、かなりの高価で。そのまま、建築資材になるプレカット材という加工済み木材の価格は山に生えている立木(りゅうぼく)の価格の20倍程度になっている。

つまり、こういうことだ。製材業者や原木市場、卸業者などは適正な利益を得ている中で、森林所有者だけがしわ寄せを受けているということである。余談になるが、これは現代の日本で、農業や漁業に関してもいえること。もちろん、仲介業者の必要性も理解できるのだが、自然を相手に日々苦労を重ねている生産者が報われず、消費者には高価なものが押しつけられるというシステムは、どこかおかしいと思う。

次々に金額が加算されていく流通過程を見ているうちに素人目にはこんなアイディアが浮かんでくる。つまり、森林経営者たちが、自ら製材や加工を行ってしまえばいいのでは、というものである。もちろん、素人考えである。それがどんな苦労を伴うものなのか、どんなノウハウを必要とするものなのかまではまるで考えてはいない。そんなことが簡単にできるのなら、どの森林組合でも始めてるよ、という声も聞こえてきそうである。

写真
住田町にある気仙地方森林組合の事務所
写真
気仙地方森林組合代表理事組合長紺野健吉さん。

だが、それを現実にしてしまった人々がいる。岩手県の気仙地方森林組合である。

気仙というと誰もが思い浮かべる宮城県の気仙沼から北におよそ25km。岩手県住田町の世田米という地区に気仙森林組合の事務所はある。気仙地方森林組合は気仙川流域の住田町、大船渡市、陸前高田市と釜石市、大槌町の釜石地区からなる(平成12年に3つの森林組合が合併)民有林面積65000haを誇る森林組合だ。

昭和62年(1987年)、気仙木材加工協同組合連合会(以下、気仙木加連)が設立された。これがそもそもの始まりである。年々下落していく原木価格に対抗するために気仙地方森林組合、陸前高田市森林組合、住田町素材業協同組合などの林業団体が、自前の製材工場を作ることで付加価値を付けた製品を出荷しようと考えた。

気仙木加連は、人口乾燥機を始め、当時としては最新鋭の木材加工機械を導入した加工工場を持ち、原木を製材して出荷する。それまでは、原木市場で買いたたかれていたものを、工場直送にすることにより、森林経営者の収入を確保することができるようになったのである。

「それまでは、気仙地方の素材生産業者や製材業の人たちがばらばらに行動していた。でも、気仙木加連ができてからはお互い協力しながら仕事を進めることができるようになった。それが、気仙川流域に活気を生み出すきっかけになった」と語るのは、気仙地方森林組合の組合長紺野健吉さんである。


 ▲目次へもどる 1/3 次へ> 

index