緑の列島。ある外国人が近代以前の日本の森林政策を紹介した本の原題を直訳したものである。
日本は、国土の約67%が森林だという。先進国の中では最も森林率が高い国だ。森の国のイメージが強いカナダでさえ54%。日本よりも森林の比率が高いのは、フィンランドの76%、スウェーデンの68%といったところ。人口密度が驚くほど高い日本にこれほどの森林があるというのは、外国人には意外に思われるようだ。それもそのはずでイギリスでは森林率はたったの10%しかない。アメリカでも32%。つまりは、文明国は国土の緑を犠牲にして、土地を開発していくというのが海外の常識なのだ。あるいは、古くから文明が発達した国では、過去に極端な伐採が行われた形跡が多く認められる。そして、森を失った文明は多くの場合、衰退していったのも過去の歴史が教えてくれている。
国内旅行で飛行機に乗る。天気のいい日などは、われわれも緑の列島を実感できる。十分に広いと思っている平野部や都市部は、緑の海に呑み込まれそうな離れ小島のようにしか見えない。日本は、平地やなだらかな台地が少なく、森林は急峻な傾斜地にある、というのも森が守られてきた一つの理由だが、日本にこれほど豊かな森林が残されているのは、日本人が過去から現在に至るまで営々と森を守るための努力を続けてきたおかげである。
もちろん、日本の歴史の中でも森林を一方的に奪う時期がなかったわけではない。冒頭に原題を紹介した『日本人はどのように森をつくってきたのか』(コンラッド・タットマン著)によると、日本の森の危機は、近代以前に2回あった。古代、戦国時代の2回の建築ラッシュである。そして、近代になって最大の危機は太平洋戦争。日本の森は、そうした略奪の時代の後にかならず多くの人々の尽力により再生してきた。そして、太平洋戦争後にも日本人特有の勤勉さで、大規模な植林が行われた。日本の森もこれで再生するかに見えた。だが現在、日本の森は史上かつてないほどの危機に見舞われている。それも、過去にそうであったように収奪、略奪による危機ではなく、伐採されない危機、放置されたことによる危機である。
統計によると、日本の森林が保有する木材のストックは、約35億立方メートルといわれている。そして、毎年の生長量は9000万立方メートルと推察される。この毎年の生長量は消費してかまわない、あるいは消費されるべき木材なのである。そして、この数字は、国内の木材消費の80%以上にあたる。つまりは、最大限に国内の木材を使えば、残りを外材に頼ればいい。ところが、実際は国内の木材は20%以下しか使われておらず、残りは、諸外国から輸入している。事情を知らない外国人は、日本人は国内の森林資源を温存して、海外の森を荒らしているという人もいる。海外の森林を荒らしているのは事実だが、国内の森林を温存しているわけではない。
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手前が間伐が行われた後の杉林。その奥が植林から数年を経た若い林。さらにその奥には、間伐が必要な林が広がっている。 |
森林は生き物だ。放って置いても自然のままに成長していく原生林はともかく、人工林は人間が手をかけてあげなくては、まともに成長してくれない。その中でも特に重要なのが間伐だ。杉や檜などの針葉樹は、まっすぐ育てるために非常に多くの本数の苗木を植え、成長にあわせながら数回にわたって間引きをくり返す。これが間伐だ。間伐が行われなければ人工林は死んでしまう。杉や檜が材として使用できないばかりでなく、山の保水能力がなくなり、山崩れや大水の原因にもなる。だが、木材価格の下落により満足な間伐が行われず、結果として日本中の人工林は未曾有の危機に瀕しているのである。
この特集では、なぜ間伐が必要なのか、という基本から、木材価格の下落や外材の流入といった現実に雄々しく立ち向かい、日本の林業再生に取り組む人々の活動を紹介しながら、いま日本の人工林で何が起きているのかをレポートしようと思う。そして、都市に住んでいる人々が、日本の人工林を再生するために何ができるのかも提案していこうと思っている。
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