間伐

持続可能社会のエネルギー源 木質バイオマス現場レポート3
 岩手木質バイオマス研究会
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1.木質バイオマス先進国スウェーデンへ

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岩手木質バイオマス研究会の事務局長金沢滋氏。

岩手木質バイオマス研究会の事務局長である金沢滋さんの本業は株式会社金澤林業の専務取締役である。東京の大学を出て毎日新聞社に入社。記者の仕事をしていたのだが、農家の取材時に実家の職業を聞かれ「いま、こんなところにいる場合じゃないでしょ。日本の林業は大変なことになっているんだから」と諭され、父親の経営する育林会社の経営を手伝うことに。盛岡に戻り、岩手大学で林業を学び直す中で出会ったのがエネルギー資源としての木質バイオマスだった。

除間伐材や、製材時に出るおびただしい木片を何かに利用できないだろうか? 何か地域の林業のためにできることはないのか? 林業の世界に飛び込んでしばらくたった頃、金沢さんの目の前に一人の人物が現れた。岩手県で昭和56年から木質ペレットを作り続けている遠藤保仁(葛巻林業株式会社代表取締役・岩手木質バイオマス研究会会長)氏である。彼は、木質バイオマス資源の利用という未知の領域を前に足踏みしていた金沢さんをスウェーデンへの視察旅行に誘ったのである。木質バイオマス先進国のスウェーデンの実情を見てくる。それは、まさに天啓だった。発電と地域の熱源になる発熱をこなすコージェネ施設、ペレット工場、ペレットストーブや、ペレットを使用したボイラーなどの普及活動。そのまま日本で実現できることばかりではなかったが、岩手に帰ってから何をやればいいのかが明確に見えてきたのである。

スウェーデンとオーストラリアの視察旅行から帰国した金沢さんと遠藤さんは、自治体や国に木質バイオマス利用を呼びかけるロビイスト活動、情報を提供するシンクタンク、実際に企画を推し進めるサポート団体として、岩手木質バイオマス研究会を立ち上げることになる。

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スウェーデンヴェクショー市訪問時。右から 金沢事務局長、ヴェクショー市のレナート・ゴードマーク国際室長、脱化石化燃料を宣言した同市のローカルアジェンダ21の作成で中心人物となったサラ・ニールセン氏ほか、同市のスタッフ。環境NGO出身者が多い(2002年11月、ヴェクショー市役所)。 盛岡市議会超党派でつくる「森林を守る議員懇話会」主催のシンポジウムで講演する金沢さん。議員サイドの理解を求めることも重要な普及活動。

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森林をやっかいの種と思うか、無限の資源と考えるか?

発足より少しさかのぼり、1999年に岩手県はスウェーデン・バイオマス協会ケント・ニィストローム氏を招いている。金沢さんや遠藤さんに木質バイオマス利用のノウハウをアドバイスしてくれた人である。2000年4月には、岩手県知事の増田寛也氏がやはり、スウェーデンに赴き、脱化石燃料宣言をしたベングストン・ヴェクショー市長と会談し、今後の岩手県の木質バイオマス推進への協力を要請していることも、大きな転換点となった。岩手県を環境首都に! というスローガンを掲げている増田知事は日本でも有数の環境政策に意欲的な地域首長である(『地球白書』で有名なワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウンに3度も会っている首長は珍しいのではないだろうか?)。

知事の理解を得て、岩手木質バイオマス研究会は精力的な活動を開始した。2001年8月、「岩手独自のペレットストーブ開発を」と産業振興政策を盛り込んだ提言を増田知事に提出したほか、各地でフェアを開いたり、設計士や行政関係者を集めて講習会を開いたりといった木質バイオマスの普及啓発を繰り広げてきた。そして、ついに目に見える形でひとつの成果が生まれた。岩手型ペレットストーブがそれである。岩手県工業技術センターと民間暖房専門メーカーの共同開発により試作機が完成。2002年の12月16日に岩手県庁での設置でお披露目を果たし、2003年の3月までに、東京の林野庁の研修施設、岩手県内の自治体2か所、北海道にある九州大学の研修林の施設などの公共施設7か所に設置。製造元は、10月には本格的な量産を開始する計画という。


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